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お岩さん

日本人なら誰でも知っていると言っていいほど有名な話ですね   

 
■実在した、お岩さん

 まず足を運んだ先は、お岩さんの墓がある妙行寺だ。都電に揺られて新庚申塚駅で下りると、その名もずばり「お岩通り」がある。そこを歩いて細い路地に入ると、すぐに妙行寺を見つけることができるはず・・・だったんだけど、見事に迷子になってしまった。

 

お岩さんが眠ってるくらいだ。有名な寺なんだろう、と甘く見たのが、いけなかったようだ。暇そうな老人に尋ねても「そんな寺、知らねーなー」とつれない返事。交番のお巡りさんも「妙行寺ねー・・・」と頼りない。
 ところが「お岩さんが」と口にした途端、「あの寺ね!」と実に早いレスポンス。やはり、寺はマイナーでも、お岩さんは超がつくほどのVIPらしい。
 「これだったら、最初っからお岩さんで聞けばよかった」と思って歩いてると、すぐに辿りつくことができた。妙行寺は、都電沿いにある静かな寺だ。鰻の供養塔が出迎えてくれた。のっけから、いい雰囲気だ。
 目指すお岩さんの墓だけど、これはすぐに見つけることができる。見学者も多いらしく、きちんと地図で表示されてて親切だ。しかも、お岩さんの墓の入り口には赤い鳥居が立ってるから、見過ごしようがない(しかし、なぜ寺の中に鳥居?)。
お岩さんの墓だが・・・ちゃんと、あるではないか! これで少なくとも、「お岩さん」なる女性が実在したことは明らかになったわけだ。 しかし、謎は残る。この墓に眠る「お岩さん」は、一体、何者なのか? 『四谷怪談』との関係は? おまけに、お岩さんの墓の周囲には、民谷家ならぬ田宮家代々の墓が居並んでるが、これは何を意味してるのか?
 のっけから、ストレート・パンチをまともに食らってしまった。現実と虚構が一挙にないまぜになってしまい、いささか混乱気味である。
 
■四谷怪談

民谷伊右衛門は、藤井左門を斬り殺した上、その娘・岩を連れて江戸へ逃げてくる。だが、伊藤家からの縁談話が舞い込んだとき、彼は邪魔者の岩に毒を盛る。そして岩の無念は、怨霊となって伊右衛門の前に甦る……。
 
■文政八乙酉年七月二十七日、江戸中村座。

四世鶴屋南北の手からなる「東海道四谷怪談」の幕は開いた。
伊右衛門という男が、金持ち娘と結婚するために邪魔な妻、お岩さまに毒を盛って殺害し、
お岩さまが怨霊となって伊右衛門を取り殺す・・・というのが、一般的に、或いは簡略化されて
人々の間に染みついたお伽噺のような物語。

■昔々、

お岩という女性がいえもんという男性と結婚して四谷に住んでいました。ある日、お金持ちの娘がいえもんに恋をしてしまいお金でいえもんの心を手に入れた。いえもんは使用人に「お岩のメシに毎日少しずつこの薬を入れなさい。」と命じた。お岩は日に日に弱っていき、髪も抜けて、顔の半分が崩れてきた。
その後、お岩は周囲の者にむごい仕打ちを受けて恨み死にをし、その祟りで数々の怪異が起こって、関係者はすべて死に絶えた。
いえもんの妻だったお岩さんはここで生まれた。そして、彼女は数奇な運命を終えるまでここに住んでいた。
彼女の死後、人々は可哀想なお岩さんのために稲荷神社を建てた。

■四谷は本来、

四谷怪談が有名な場所なのですが、今はそんな姿は見る影もなく、建物が立ち並んでいますが、昔は「四つ家」といい、屋敷が四つほどしかないほど、ひっそりとした寂しい場所だったとも言われております。が、その四谷怪談も舞台は山の手四谷から下町本所深川にストーリーは進んでいます。結局、そういうおどろおどろしい話には、下町のどこか陰のある場所が必須だった訳です。

 では何故「四谷怪談」と言うのでしょうか??そもそも江戸には本所に「本所の七不思議」という妖怪話が現存?していまして、ネタがつきた江戸っ子庶民は、また何か新しい怪談話を求めて出来たのが、この「四谷怪談」だと思われます。四谷である由縁は、下町の寂れた場所が深川であるのに対向して、山の手で寂れていた場所が四谷だったからなのです。オカルト話に必要なのは、淋しい場所、すなわち「あの世とこの世の接点」が、この土地だったのです。

 その四谷で一番有名なお話しといえば、「お岩さん」で有名なアレでしょう・・・・

 お岩さんの物語というのは、事実談がありまして、文政十年に四谷塩町と忍町の名主茂八郎という人がだした「文政町方書き上げ」に於岩稲荷伝説として語られています。が、この作品の初演は文政八年とされていまして、すなわち、事実談が出るよりも前のことなのです。

 ということは、この作品(お岩さん)は、大ヒットしたがために、由来をでっちあげたという推理も出来るのです・・・・・・・

 それでも、現在でも「四谷怪談」を映画やテレビで扱う際、参拝を欠かすとたたりがおきると言われているのも、なんだか因果な話ですね・・・・

 ちなみに、その「お岩さん」の墓は於岩稲荷になく、巣鴨の妙行寺にあります。


■不思議

それは田宮神社でお祀りされているお岩さん(1636年死去)から5代目の人で、田宮家は実はここでいったん血筋が切れている模様です。この頃(1710年前後)にやはり何かあったのではないかと・・・・・

結局何があったのか

「於岩稲荷由来書上」が書き記す事件の要点は次の通りです。

  • 田宮又左衛門の娘・お岩が浪人・伊右衛門を婿に取った。
  • その後伊右衛門の心変わりで一方的に離縁。
  • お岩はショックで失踪。
  • その後田宮家でよくないことが相次ぎやがて家は断絶。
  • その後、この地に住んだ山浦甚平が奇怪な目に遭う
  • 山浦甚平が屋敷にお稲荷さんを勧請。怪異は止む。

恐らくはこの通りのことが本当にあったのでしょう。ここでは「お岩」と書かれていますが、永久保氏は実際にこの失踪した女性の名前は不明であるとしています。しかし脚本を書くのには名前が必要であるため、田宮家・初代のお岩さんの名前を借りたのではないか、という推定です。
なお、この地には現在はまた田宮家の人が住んでいるのですが、初代お岩さんの子孫であるとのことですので、恐らく分家の方がのちにここへ移ってきて、お家を復興したのでしょう。
ここに祀られているのは結局は、田宮家のご先祖さまということになると思いますが、その中には当然、初代の田宮家を盛り立てたお岩さんと、その5代目の悲運の女性も入っていることになるかと思います。

なぜ祟るのか?

「お岩さんが祟る」というのはよく流布された話ですが、その祟りの元についてはどうも、その悲運の女性の恨みというのとは少し違うようにも思われます。
田宮神社のパンフレットでは、四谷怪談関係で事故が多いのは、暗い場面が多く、よく見えないために物にぶつかったり、足を踏み外したりするのではないか?といった推定がなされています。これはあり得ることだと思います。
寺尾玲子さんの「闇の検証」では、一番問題なのは、これをネタに儲けてやろう、という人たちの渦巻く思念のかたまりではなかろうかと推定しています。これはかなり強力なマイナスのパワーになるはずです。これもあり得ることだと思います。
とにかく、この四谷怪談は、ふざけてタッチしてよいものではないことだけは確かです。
その悲運の女性、及び似た境遇に苦しんだ多くの女性に合掌。


■江戸時代後期

お岩さんが死んでから二百年以上も経っているのにお岩さんは根強い人気があった。そこに目をつけた歌舞伎作家の鶴屋南北は「お岩」の名前を使って歌舞伎にすれば、大当たり間違いないと考えました。

しかし、お岩が善人では面白くないと考えた南北は、田宮家には怨霊がいたことにして、いろいろな事件を元に脚本を書き上げたのがお岩の怨霊劇だったのです。

これが有名な『東海道四谷怪談』です。四谷は甲州街道筋なのに「東海道」という題名がついているのは、四谷の於岩稲荷の事実とは無関係な創作であることを示しています。

この歌舞伎は大当たりし、ますます於岩稲荷は人気がでました。はじめはこの歌舞伎に出演した役者がもっぱら参拝していたのですが、そのうち上演前に参拝しないと役者が病気になる、事故にあうといった話にまで発展しました。

これは祟りということではなく、事故の原因は他にあったと考えられます。内容が怪談であるため、照明は暗く、トリックは凝り、天井からの吊るし物も多いという中で芝居をするため事故が多かった、ということでしょう。



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